
ある講師のかたが、こんなことをおっしゃっていました。
「外国に行かなくても、いろんな外国のかたが自分から来てくださって、知り合いになれる。嬉しくてしかたありません。」
まったく同感です。ほんとうに嬉しい。ありがたし!
授業が終わり、互いに挨拶して別れる時、彼や彼女が「おつかれさま」と言いながら、深く頭を下げると、こちらも頭を下げながら、胸がきゅんとしてしまいます。
わたしは、ANABAに人が集まる理由のひとつは、その開かれた雰囲気にあると考えます。
山口昌男が市場の持つ経済的機能について、こんなことを書いています。
「市場は何よりも閉鎖性に対立する。誰でもそこへ行くことが可能であるから、従って「開かれた世界」のイメージを持つ。次に市場は自由な接触を可能にする。交換の対象およびその等価物を持てば、人は自由に他人と交渉に入ることができる。そして、交換という目的に結びつく限り、ここに集まるすべての人間は接触の可能性を持っている。そこでそれは「自由な接触」のイメージを持つ。さらに、ここでは等価物の所有が、人間関係の前提である。それ故「平等、または対等」のイメージが支配する。ここでは人は絶えず移動する。そこで固定したものに対する「流動性」のイメージが生じうるはずである。人はここでは所有物を手離し、それを何物かに替え、そのことによって彼自身のアイデンティティにも変化が起きる。交換される物についても、人自身についても、市場は「変貌」のイメージを提供する。」*
これをANABAにあてはめてみると、こんな風になるかしら。
「日本語を学びたい気持ちがあり、一定の基準を満たしていれば、誰でも来ることが可能である」「集まったすべての人は、日本語学習という目的のために共に活動する可能性がある」「活動において、みんな対等の関係にある」などなど。
講師と学習者が、ANABAという開かれた場での活動を通じて、それぞれの大事なものを交換し、それぞれのアイデンティティに有意義な変化が生じてくるとよいですね。
*山口昌男『道化の民俗学』〈筑摩叢書〉(筑摩書店、1985年)55-56ページ。


