ネパール人の学習者とカトマンズの寺院の話をしていたら、Aniko/Anige/Aranikoという人について教わりました。ネパール語ではअरनिको、漢字では阿尼哥と書くようです。

 ネパールの建築家・彫刻家です。

漢字の阿尼哥の読み方にはいろいろあって、Wikipedia英語版は、おそらくAa Ni Kaが正解なのではないかと推測。一方、『世界美術大全集 東洋編 第7巻 元』(小学館、1999年)は、「阿尼哥」に「アニゴ」とルビを振っています。

 生没年も、Wikipedia英語版は1245-1306、同中国語版は1244-1306。

 彼は元の時代に中国へ渡り、たくさんの塔・寺院を建て、彫像を造りました。なかでも北京にある妙應寺の白塔が有名です。

 以下、『世界美術全集 第四十巻』(平凡社、昭和5年)の関野貞と、前記『世界美術大全集 東洋編 第7巻 元』の田中淡の解説をもとに、この塔について説明してみます。

 塔が完成したのは、至元16(1279)年。中国でラマ塔と呼ばれるチベット式の仏塔としては、最初期のもの。美術全集に掲載された写真を見ると、明らかに他の寺院の塔とは形状が異なっています。

 塔は「基壇」「塔身」「相輪」「華蓋/宝蓋」「宝頂」から成り、基壇は3層、塔身は円柱形、相輪は13層、華蓋/宝蓋は銅製の御簾のようなものがめぐり、その下に多数の風鐸が吊るされています。塔高約51m。

平凡社の『世界美術全集 第四十巻』の写真から、磚(せん。中国のレンガ)を積み上げて造られているのがよく分かります。現在の塔は、その名の通り修復されて白く輝いていますが、その写真は白い塗料がはげ落ちた状態の、修復前のもの。

ここで、話題をAa Ni Kaに戻すと、彼が元にいたのは、晩年を除き、皇帝クビライ(1215-94)の時代。モンゴル帝国第5代皇帝だったクビライは、帝国の首都をカラコルムから大都(現在の北京)に移し、元朝の始祖となります。

そして、クビライが皇帝だった時に、文永の役(1274年)と弘安の役(1281年)、いわゆる「元寇」がありました。日本側の総大将は鎌倉幕府第7代執権 北条時宗。

また、真偽さだかではありませんが、『東方見聞録』によれば、1266年、マルコ・ポーロ(1254頃-1324)がクビライに謁見したことになっています。

マルコ・ポーロは学者によってはその実在すら疑われていますが、Aa Ni Kaは実在しました。彼は元と日本の戦いの噂を、大都で聞いたでしょうか?

さきの学習者は「彼についてネパールの学校で習った」そうです。きっとわたしたち日本人が知らないだけで、ネパールでは高名な人物なのでしょう。中国にある彼の銅像を見ると、おそらく想像でしょうが、明らかに中国人とは異なる風貌に造形されています。