◆作り物だけれど…

 川越市の西方にある鶴ヶ島市。その、とある一角に「ぱんだのうじょう」はあります。

 「のうじょう」といっても、フェンスにゆるーい書体で「ぱんだのうじょう」と書かれた看板がかかっているだけ。以前は野菜などを作っていたのかもしれませんが、今は原っぱになっていて、その奥にパンダが鎮座しています。

 もちろん本物のパンダではなく、樹脂製。樹脂製とはいえ、しっかりできていて、大きさもかなりのもの。制作費はかなりかかったと想像されます。

 これがけっこう可愛いのです。

◆本物は…

 本物のパンダは「レッサー・パンダ」と「ジャイアント・パンダ」の2種類ですが、鶴ヶ島の作り物は後者がモデル。

 「レッサー・パンダ」はレッサーパンダ科に属し、尾を除いた体長が50~60センチ。体毛は、背面が褐色で、腹面が白。目・鼻・頬・口の周りは白。

 「ジャイアント・パンダ」はクマ科に属し、尾を除いた体長が1.2~1.5メートル。体毛は、目の周り、耳、四肢、背中の両肩の間が黒色、他の部分は白色。

 その存在が世界に知られるようになったのは「レッサー・パンダ」のほうが早く、19世紀だったのに対し、「ジャイアント・パンダ」のほうは20世紀に入ってからでした1

◆香山滋の大パンダ熊

では、「ジャイアント・パンダ」は日本でいつ知られるようになったのでしょうか?

 文章で、そういう名前の生き物がいると紹介したということなら、あの『ゴジラ』の原作者 香山滋(1904-75)の小説「ソロモンの桃」(昭和23〔1948〕年9月から24〔1949〕年5月まで「宝石」誌に連載)のものが、その最初期に当たると考えられます。

 少し長くなりますが、該当部分を引用します。

 「さて、ここでまた私の説明癖が飛び出して読者を悩ますのであるが、この大パンダ熊というものをご存知の方はきわめて稀であろうと思うからちょっとご紹介しておきたい。大パンダは熊くらいの大きさで、淡黄色と焦茶色の毛を有する珍奇な哺乳動物である。一般に、動物の色彩というものは背の色が濃くて腹の方が淡いのを通則とするにかかわらず、大パンダ熊ではそれが逆だ。そして顔は綺麗な黄色を呈するが、耳と眼の周囲だけが、黒色で濃く、まるで玩具の熊のような愛らしい風ぼうである。分類学的

に見ると(ウルスス)よりむしろ米大陸特産の浣熊に近く、その産地はJ・E・アンダーソンの説に従えば四川の山奥に限られており、きわめて稀有の獣であるため、十四年前に、たった一頭捕れたのが最初であり、その後は絶えてその足跡すら発見できずにいるという世界的な珍獣である。」2

 読めば分かるように、体毛の描写は「ジャイアント・パンダ」より「レッサー・パンダ」に近く、「分類学的に見ると(ウルスス)よりむしろ米大陸特産の浣熊に近く」というくだりも、当てはまるのは「レッサー・パンダ」。おそらく作者は「大パンダ熊」という名称は心得ていたものの、その実像は知らなかったのでしょう。その証拠に物語はこのあと、意外な展開をします。

 この小説の語り手はデンマークのサーカスの嘱託で探検家という設定。サーカス団のために世界中から珍しい動物を狩り集めているため、大パンダ熊も追跡対象になっていました。彼は次のように自己の経験を語ります。

「かくして、絶望に身悶え、熱沙に伏して、姿なき大パンダ熊の足跡をいたずらに追い狂った思い出のデウ沙漠に、私は再び登場した。(中略)大パンダ熊の足跡は、たとえ数(ヤード)連続して砂の上に印されていても、必ずその姿を見つける前にふっとかき消すように消滅しているのだった。」3

 なんと、パンダが高山地帯ではなく沙漠に出現します。そして、

 「沙底は水であった。しかもその水は相当広範囲にわたって、この沙漠の下に存在しているのだ。大パンダ熊は、おそらくこの水中を泳ぎ去って、安全な個所から砂をかき除いて上陸し姿をくらましているものに違いない。」4

 沙漠の下に水があって、パンダは水中にもぐって追手の目をくらましている、というのです。沙漠を氷上に変えれば、まるでアザラシのようなパンダ!

◆「ananELLE JAPON」の表紙に

 ジャイアント・パンダの実物が日本にやって来たのは、香山滋の奇想天外な紹介からほぼ24年後のこと。昭和47(1972)年10月28日、中国からカンカン(オス)とランラン(メス)が来園します。

この来園を期に大変なパンダブームが到来しますが、それに先行するかたちでパンダの名前を誌名に採用したのが「anan ELLE JAPON」(創刊号が1970年3月20日号)。「anan」誌の前身です。黒柳徹子がロンドンで見たロシアのパンダの名前が創刊スタッフの耳に入り、誌名の公募にも「アンアン」という応募があったことから、誌名に選ばれたそうです5

「ananELLE JAPON」創刊号の表紙の右すみ、「3 20」という数字の下には、イラストレーター 大橋歩が描いたパンダが掲載されています。そして、「anan」の裏表紙の上に、やはり同じパンダの姿が。

まだ実物が来日していなかったにもかかわらず、大橋歩のイラストはその特徴を正確にとらえています。しかも、図鑑とはまったく異なる、デフォルメの妙。ぜひ、一度、雑誌を手に取って、眺めてみてください。

◆『パンダコパンダ』と『パンダコパンダ 雨降りサーカス』

 カンカンとランランの来園から、ほぼ2ケ月後の昭和47(1972)年12月17日、中編アニメーション『パンダコパンダ』(カラー34分)が映画館で公開されます。併映は『ゴジラ電撃大作戦』(1968年公開の『怪獣総進撃』を改題して再公開)と『怪獣大奮戦 ダイゴロウ対ゴリアス』。さらに翌年の3月17日、続編の『パンダコパンダ 雨降りサーカスの巻』(カラー38分)公開。同時上映は『ゴジラ対メガロ』。香山滋が紹介した珍獣の登場する映画と、同じ香山が創造した怪獣の映画が、大勢の観客の前で併映されたわけです。

 この『パンダコパンダ』と『パンダコパンダ 雨降りサーカスの巻』こそ、宮崎駿と高畑勲がコンビを組んだ最良の作品でした。前者が原案・脚本・画面設定を、後者が演出を担当し、作画監督に大塚康生、小田部羊一、音楽 佐藤充彦という強力な布陣。さらに両作品の原画には近藤喜文、『雨降りサーカスの巻』の背景には男鹿和雄らが参加。

主役の一人と二匹の声は、ミミ子を杉山佳寿子(テレビアニメ『アルプスの少女ハイジ』のハイジ役など)、パパンダを熊倉一雄(テレビ人形劇『ひょっこりひょうたん島』のトラヒゲ役など)、パンちゃん=コパンダを太田淑子(テレビアニメ『ドラえもん』の初代のび太役など)。

 両作品の魅力は、なんと言っても、主役にあります。

姿かたち・性格・環境、いずれもリンドグレーンの『長くつ下のピッピ』のピッピを彷彿とさせるミミ子。

それもそのはず。『長くつ下のピッピ』のアニメ化のため、高畑・宮崎・小野田3名は会社を移籍したものの、原作者の許可が下りず、企画は頓挫。その代わりに取り組んだのが『パンダコパンダ』だったのです。世界の児童文学に通じた人なら、あのアストリッド・リンドグレーン(1907-2002)の『長くつ下のピッピ』6のアニメ化が、いかに高畑たちの心を引きつけたかが分かるはず。そして、それを断念せざるをえなかったくやしさも7

しかし、ミミ子はミミ子として、ピッピの模倣ではなく、独自の存在になっているのが、このアニメーションの素晴らしいところです。

熊倉一雄が声を演じたパパンダも、ちょっとユーモラスで余裕に満ちた父親ぶりに加え、頼りになる点で『紅の豚』(宮崎駿監督、1992年公開)のポルコすら凌駕しています。

そして、そうした主役たちの活躍を描く絵のクオリティの高さ。手元にある双葉社アニメ文庫の『パンダコパンダ PART 1』『同2』『パンダコパンダ 雨降りサーカスの巻 PART1』『同2』(双葉社、昭和59年)を開いてみると、アニメーションのための絵が、構図といい色彩といい、そのまま絵本に使用できる上質なものだったことにあらためて気づかされます。テレビアニメと異なり、映画館の大きなスクリーンで上映することを目的に描かれた絵の緻密さ(細部まで細かく描かれているという意味ではなく)、迫力。

 最後にふれておきたいのは、高畑勲の自在な演出。小さな子どもをおもな観客に想定した作品であるため、繊細かつ大胆でありながら、見る者に負担をかけない、きわめて柔軟なものになっています。

例えば、『パンダコパンダ』後半のクライマックスの少し前。ミミ子とパンダたちが野原で遊んでいます。それを見つけた少年たちが心無いことを言います。ミミ子の何とも言えない表情。少年のひとりが連れていた猛犬が、いきなりパパンダに向かっていきます。しかし、とうていかなわない相手だと気づき、卑怯にも今度はパンちゃんの頭をガブリ。その瞬間、映画館の子どもたちは固唾を吞んだことでしょう。パンちゃんが大変だ! それからの意外な成り行き。そして、猛犬が示す「参りました。降参です」のポーズの絶妙さ。憎たらしいはずの存在が一瞬で憎めない存在に変わってしまう魔法。

高畑37歳の見事な仕事ぶり。

 テレビではなかなか放送される機会がなく、意外と知られていない同作品だけれど、機会があったら、ぜひ劇場で見てください。

 それから、「ぱんだのうじょう」のパンダも宜しく。

1 「ジャイアントパンダWEB動物図鑑」(https://ikimonopedia.com/giant-panda/ 2026年5月10日アクセス)

2 香山滋『ソロモンの桃』現代教養文庫(社会思想社、昭和52年)11-12ページ。引用の「風ぼう」の「ぼう」は、出典では「三」の中央を縦に1本棒が通る漢字が使われていて、「風」に「ふう」、前記の漢字に「ぼう」とルビが振られています。

3 同前、12ページ。

4 同前、13-14ページ。

5 From Editors 編集部リレー日誌 anan命名の立役者? 黒柳徹子さん降臨!(https://magazineworld.jp/anan/anan-editors-2191-3/ 2026年5月11日アクセス)同日誌は、マガジンハウスのホームページ「マガジンワールド」の「anan」のサイトより。2020.03.03掲載分。

6 原書はスウェーデンで1945年に、日本語訳は1964年に刊行されました。『長くつ下のピッピ:世界一つよい女の子』〈リンドグレーン作品集1〉大塚勇三訳(岩波書店、1964年)。

7 小田部羊一談「パクさん(引用者注:高畑勲)と宮さん(引用者注:宮崎駿)は、行き場を失った怒りを発奮材料にして猛然と取り組んでいました。二人で旅館に泊まり込んで、あっという間にコンテを仕上げてしまいました。ぼくは大塚さん(引用者注:大塚康夫)と一緒に作画監督をやらせてもらいました。ピッピのキャラクタースケッチから一つをピックアップしてミミ子をデザインし、パパンダとパンちゃんは大塚さんが設計しました。『雨ふりサーカス』ではトラちゃんをデザイン、またまた水のシーンの原画も描きました。(改行)個人的には『ピッピ』のショックが尾を引いていたのですが、観客の子供たちが本当に喜んでくれて、主題歌を映画館で合唱したのを見た時は感動しました。」(叶精二『日本のアニメーションを築いた人々 新版』(復刊ドットコム、2019年、188-189ページ)