
◆家の来歴
「川越市中央公民館分室」と言っても、ピンとくる人は少ないかもしれません。同分室は、平成13(2001)年から長らく貸出停止となっています。理由は建物の老朽化。住所は川越市六軒町2丁目15-1。蓮馨寺の裏手の通りに面していて、大きな門がその目印です。この門は比較的最近――おそらく1970年代――に建てられていて、その設計者から直接「僕の処女作です」と聞いた覚えがあります。それでは、分室そのものは?

最初は、陸軍軍人の久松ひさまつ定謨さだこと伯爵(1867-1943)邸として、東京の三田に建てられました。建てられた正確な時期については不知。しかし、愛媛県松山市にある別邸「萬翠荘」(現在、愛媛美術館分館として使われている)の創建が大正11(1922)年なので、本宅のほうは、それより以前と考えられます1。
やがて久松家は三田の家を郷里に移すつもりで解体しますが、計画が中止になります。その時、この用材を頂いて、昭和3(1928)年のころ、埼玉県北足立郡三橋村(1940年に大宮市と、さらに2001年にさいたま市と合併)に家を建てたのが小泉八雲の長男 小泉一雄でした。一雄の子息 時は、その経緯を次のように回想しています。
「その話は、一雄の拓大時代の知合いだった牧田氏(拓大の建築請負師)からもたらされたものでした。(中略)(筆者注:久松邸が)解体されたままであったのを、誰かしかるべき方に差し上げたいが、皇后陛下が御幼少の折りお通りになった御居間がついているので、料亭などへの払下げは一切無用。そのかわり、久松家から許しが得られる方だったら、無償で差し上げるという話でした。」2
この回想に登場する皇后陛下とは、昭和の初めという時期から、香淳皇后(1903-2000。昭和天皇の御后)だと考えられます。香淳皇后の父親 久邇宮邦彦王は久松定謨伯爵と同じく陸軍軍人で、麻布と三田とお互いの住まいも近くにあった関係で、香淳皇后は久松家を訪問したのでしょう。
さて、小泉一雄が三橋村の家で執筆を開始し、そこを去って東京へ戻り、上野池の端の家で書き上げたのが『父「八雲」を憶う』(警醒社、1931年)3でした。
一雄が引っ越してしまった三橋村の家は、昭和14(1939)年に川越に移築されます。NPO法人 川越蔵の会のホームページによれば、移築をしたのは、渡邊吉右衞門(1863-1928。呉服商・銀行経営者。川越織物市場株式會社取締役、川越渡邊銀行頭取などを歴任)とのこと4。
その後、川越市が買収して、中央公民館分室となったのが昭和58(1978)年3月。23年間、市民に利用されてきましたが、平成13(2001)年4月に休館。それからさらに25年の月日が経ち、令和8(2026)年現在、垣根越しに見る外壁は相当な痛みようです。最初に建てられたのが100年以上前ですから、あれこれ補修を続けていかなければ、加速度的に痛んでいくばかりかもしれません。
◆陰影礼賛
そんな分室の中を見学したことがあります。正確な時期は覚えていませんが、おそらく40年以上前のこと。したがって、建物の細部についての記憶は霧の彼方。ただ、日本家屋独特のほの暗さは印象に残っています。廊下に囲まれ、障子越しに廊下から入ってくる光が頼みの和室は、日中でも闇が支配的で、天井のあかりだけでは心もとない感じ。でも、決して悪い雰囲気ではありません。
NHKの連続テレビ小説「ばけばけ」5は、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)とその妻小泉せつをモデルにしたドラマでしたが、照明に工夫をこらし、日本家屋ならではの陰影を巧みに表現していました6。そんな陰影の豊かさが分室にも確かにありました。柔らかな闇に包まれて、ひょっとしたら久松定謨、香淳皇后、小泉一雄らの気配まで感じ取れるかもしれない空間。
忘れてしまった建物細部も、上記の川越蔵の会のホームページなどで確認すると、欄間や障子の美しさに目を瞠ります。見学当時は、ただの日本家屋だと思っていたのだけれど。
◆小泉一雄について
さきの見学時、分室を管理しているかたから、「この家は昔、小泉八雲が住んでいたんですよ」と聞かされ、「そうなのか~」と思っていたら、すぐに「今のは間違いでした。住んでいたのは、八雲の息子の一雄さんです」と訂正されました。
ドラマになるくらいですから、八雲は有名です。しかし、その子の一雄についてはあまり知られていません。そこで簡単に彼についてまとめてみます。
ラフカディオ・ハーン(Patric Lafcadio Hearn 1850-1904)/小泉八雲と、小泉せつ(1868-1932)の間には、四人の子(一雄、巌、清、寿々子)がいます。
長男の一雄は、明治26(1893)年11月17日に熊本で生まれました。Leopold Kajio Hearnと命名されます。「Leopold」はハーンがマルティニーク島で世話になった公証人の名前から取られ、「Kajio」は「Lafcadio」に因んだもの。「「梶夫」とつけるつもりでいたが、のちに帰化した際に、戸籍上「一雄」とした」そうです7。
「一雄は大正六年に早稲田大学の英文科を卒業してから、(中略)拓殖大学の教務課に勤めておりましたが8、そのころ横浜のグランド・ホテルの社長をしておられたマクドナルド氏(関東大震災で亡くなられるまでそこの社長でした)から、グランド・ホテルに勤められるようお勧めがありました。」9
上記のグランド・ホテルは明治6(1873)年9月に開業、大正11(1922)年9月の関東大震災で建物が壊滅するまで営業を続けます10。しかし、震災後は自然解散。一雄もホテルの仕事を引退し、新宿区西大久保(現在は大久保)の実家に帰ったのち、三橋村に家を建てて、そこで執筆活動に入ります。
「離れの仏間を書斎にあてて、八雲が勧工場で買い求めた思い出の多い小机をすえて、それに向かって『思い出の記』の執筆にふける」11。震災で職を失った一雄が、心機一転、新たな活動を
開始した場所こそ、現在、川越市中央公民館分室となっている建物、ということになります。
そして、昭和40(1965)年4月29日に亡くなるまで、彼は父 八雲の回想記の執筆、その遺稿整理、書簡集の編集などに従事しました。
もし関東大震災がなければ、社長のマクドナルド氏から後継者と目されていた一雄は、ホテルの社長になっていたかもしれません12。
なお、グランド・ホテル消滅後、その近くに昭和2(1927)年12月1日開業したホテルニューグランドは、前者とはまったくの別会社。震災後に立てられたホテル復興計画に則り、横浜市が建物を建設し、経営は新会社に委託されました13。
◆ホワイトナイト
NHKテレビに「気になる家」という番組があります。2026年3月26日に放送された「(4)ガラスのアトリエ(東京・中野)」の回では、中野区上鷺宮にある国登録有形文化財「三岸家住宅アトリエ」を取り上げていました。
このアトリエは、画家 三岸好太郎(1903-34)・三岸節子(1905-99)夫妻のアトリエとして昭和9 (1934 )年に建築されました。設計をしたのは好太郎の友人で、ドイツのバウハウスに留学した山脇巌(1898-1987)。ガラスを多用した白い箱のような建物は、バウハウスの影響著しい、当時としてはきわめてモダーンなものでした。もっとも、近隣住民はその外見から「豆腐の家」と呼んでいたようですが14。
しかし、別の意味で「豆腐の家」というのは当たっていました。この家はバウハウス風の外見にもかかわらず、鉄筋コンクリート製ではなく、木造だったため、建物が歪み、ガラスは割れやすく、構造的に大きな欠陥を抱えていました。
三岸夫妻の孫娘は「近代建築の傑作であるものの、痛みが激しいうえに、保存していくためには1億近い費用がかかりそうだ」という状況に直面して困惑していました。そんな時、彼女の前に現れたのが耐震再生事業を展開する「株式会社キーマン」。「新しい建物を建てない建設会社」がキャッチフレーズの同社が関わったことで事態は大きく動きます。
その詳細は番組を見て頂くとして、中央公民館分室にも、こうした「ホワイトナイト」のような助け舟が現れないかと思うのです。
川越市議会議員|小林 範子公式ウェブサイトに掲載された「2024年11月14日 投稿者: kobayashi-noriko/9月議会一般質問 中央公民館分室の有効活用について」を閲読すると、小林議員の「分室の耐震診断の結果及び改修をするとしたらどの程度費用がかかるか」という質問に対し、市は「類似事例を参考にしますと、防蟻処理と耐震改修費用として1億円を超えると想定しております」と回答しています。さらに「分室を今後どのようにするのか。現在までの検討状況について伺いたい」という質問に対しては、「令和5年度に教育委員会内において、公民館としての再生や文化財的活用もしないとの結論を出しました」と答えています15。
以上の情報から判断すると、中央公民館分室の存続は絶望的。
しかし、建物再生の費用面についてだけ見ても、さきのNHKの番組に登場した建設会社の責任者は幅のある言い方をしていました。多少は参考にならないかしら。
できれば、壊す方向ではなく残す方向で、再度、可能性を探ってほしいものです。古い家を訪ね、しばし、その家で起こった出来事に思いを馳せるために。
1 「久松定謨」(https://ja.wikipedia.org/wiki/久松定謨 2026年5月6日アクセス)、「萬翠荘」(https://ja.wikipedia.org/wiki/萬翠荘 同日アクセス)
2 小泉時「祖母のこと、父のこと」(小泉節子、小泉一雄『小泉八雲 思い出の記 父「八雲」を憶う』恒文社、1976年)575-576ページ。
3 同前、中扉を見ると、書名の「父「八雲」を憶う」の「父」に「パパ」とルビが振られています。
4 「中央公民館分室の今後を考える会~歴史的建造物・旧山吉別邸~」(https://www.kuranokai.org/hp/bunshitu/ 2026年5月6日アクセス)。四代目 渡邊吉右衞門は昭和3(1928)年に亡くなっているので、移築に尽力するも、昭和14(1939)年の移築に本人は立ち会えなかった、ということかもしれません。
5 2025年9月29日から2026年3月27日まで放送。
6 照明:根来伴承、大西弘憲、武井美晴。撮影:岩崎亮、関照男。
7 坂東浩司『詳述年表 ラフカディオ・ハーン伝』(英潮社、1998年)456ページ。同書、570ページによれば、ハーンが日本に帰化し、小泉八雲と改名したのは明治29(1896)年2月14日。一雄の誕生から2年3ケ月ほど経過しています。
8 一雄は三橋村に家を建てるに当たって、この拓大時代に知り合った牧田氏(拓大の建築請負師)から、久松家を紹介されたわけです。
9 小泉時「祖母のこと、父のこと」(小泉節子、小泉一雄、前掲書)572ページ。
10 村岡實『日本のホテル小史』(中公新書、昭和56年)65ページ。
11 小泉時「祖母のこと、父のこと」(小泉節子、小泉一雄、前掲書)576ページ。
12 同前、572ページ。
13 村岡實、前掲書、70ページ。
14 <三岸家住宅アトリエ>木造で実現した戦前のモダニズム建築、2026年秋に再生へ【まるっと中野】(https://www.city.tokyo-nakano.lg.jp/kanko/machiaruki/migishi_atelier.html 2026年5月9日アクセス)
15 川越市議会議員|小林 範子公式ウェブサイト(https://kobayashi-noriko.com/政治活動/3889 2026年5月9日アクセス)

