
釣船清次
日本文学者・随筆家の岩本堅一(1883-1961)がこんなことを書いています。
「今度の空襲にも京橋、新富町辺りは残つたとか聞きながら、まだ行つてもみないが、あの辺も横丁の多い所であつた。昔の新富座は跡形もなくなつてしまつて居るが、古風な表がかりでなまこ(なまこに傍点)壁の付いて居た時分、ぢき近くの横丁をはいつて、釣船さまといふ小さな社へ行つて見たことがあつた。
どういふ縁起か知らないが、悪いかぜを守つて下さる神様ださうで、それに鱚(ルビ:きす)といふ魚を断(ルビ:た)つのである。古い伝説だけを仄(ルビ:ほの)かに知つて居る母などに云わせると、昔釣船清三郎とかいふ人が沖で鱚を釣つて居ると、海中から異人が現れて、その鱚が欲しい、その代り悪いかぜに罹(ルビ:かか)らぬように守つてやろうと、舟板へ泥の手形を捺してくれたのだと云ふ。然し、又聞きの口碑であつて見れば、その神社ではどう云ふか知らない。ささやかな露地と云つてもいい程の横丁の中に、小ぢんまりとした社があつて、社務所のあるところを見ると、或いは狭い範囲でも氏子を持つて居るのであろうか。」(岩本堅一『素白随筆』「逸題」春秋社、昭和38年、260ページ)
昔、「新富座」近くの横丁に、悪いかぜから守って下さる神を祀る釣船さまという神社があった。
古い伝説と関係があるらしいという話です。
筆者自身「又聞きの口碑であつて見れば」と断っているとおり、この伝説にはいろいろなヴァージョンが存在するようです。
よく知られているヴァージョンでは、釣り人の名は「釣船清三郎」ならぬ「釣船清次」。海上ではなく、帰港したところに突然現れた大男に魚を所望され、与えたところ、大男は自分は疫病神だと名乗り、お前の名前を紙に書いて戸口に貼っておけば、決して家には入らないと約束したという話になっています。
とはいえ、ヴァージョンに些細な違いはあっても、「厄神を歓待した者は災厄を免れる」という信仰がこの伝説の根幹を成しています。そこで、思い出すのはあの名前。
アマビエ
日本でコロナ禍が猖獗を極めた2020年、疫病退散にご利益があるとして広まったのがアマビエの画像でした。
当時、商店の扉や窓に手書きのアマビエが貼られているのをよく見かけたものです。
アマビエの画像が最初に登場したのは江戸時代後期の瓦版2。
瓦版には、だいたい次のようなことが書かれています。
〈肥後国(現在の熊本県)では、毎夜、海上に光るものが現れた。役人が行ってみると、海中より図のような姿のアマビエと申す者が出てきて、「当年より6ケ年の間、諸国で豊作が続くが、同時に疫病も流行する。早く私の姿を写して人々に見せるように」と言うと、海中に入ってしまった。図は役人が写して江戸に送ってきたものに基づく。〉
役人が描いたらしい、いかにも稚拙な図を見ると、鳥のようなくちばし、ひし形の目と耳を持ち、たくさんのウロコがある胴体に三本の足がついた異形のものが描かれています。足の先には尖った三本の指があり、身体全体を覆うように足元近くまで長い髪が垂れていて、腕は見えません。
このアマビエを厄神と断ずるのは早計ですし、上記の「釣船清次」とは話の構造が少し違いますが、
・どちらの話も海に関係していて3
・厄神(?)の姿か、厄神を歓待した者の名前を紙に書いて貼っておけば、災厄を免れる
という点は共通しています。
さらに踏み込んだ解釈は専門家ではないので控えることにして、ここからが本題です。
「門前に貼っておけば災厄を免れる」お札として、アマビエよりはるかに長い歴史を持ち、ずっとよく知られていたはずなのに、なぜかコロナ禍であまり話題にならなかったお札とは、何のお札でしょう?
角大師

作家の都筑道夫(1929-2003)は「春がすみ、江戸の花見」と題するエッセイで、川越喜多院の慈恵堂(大師堂)で現在も購入できるお札(2023年11月現在、頒価500円)について、こう書いています。
「正面の大師堂へあがると、角(ルビ:つの)大師のお札を売っている。
これは慈恵(ルビ:じえ)大師、俗にいう元三(ルビ:がんさん)大師が京(ルビ:みやこ)に疫病がはやったとき、疫病神を退散させるために、みずから夜叉の姿に変じ、それを鏡にうつして描いた自画像で、門口に貼っておくと、あらゆる厄をよけるという。
元三大師のことは、谷崎潤一郎全集第十六巻にある『乳野物語』にくわしいが、(中略)戦前は東京でも、よく貼ってある家を見かけたものです。」(都筑道夫『目と耳と舌の冒険』晶文社、1974年、33ページ)。
そこで谷崎潤一郎全集にあたると、「此の大師像を「角大師」と云ひ、木版に刷つて民家の門に貼り、疫病除けのまじなひにしたのであつて、古いところでは後深草院の寶治年中、将軍頼嗣、執権時頼の時、鎌倉に悪疫が流行して一萬體の像を摺寫したことが東鑑に見えてゐる」とあります(『谷崎潤一郎全集 第十六巻』「乳野物語」中央公論社、昭和43年、408ページ)。
つまり、角大師のお札は、都筑によると「戦前は東京でも、よく貼ってある家を見かけたもので」あり、谷崎によると鎌倉時代から刷られていたことが分かります。
谷崎はまた「(前略)過ぐる大戰の直前、昭和十六年の秋にも一團の信徒が一萬枚の御影を刷って全國に配つたことがあると云ふ」とも述べています(前掲書、407ページ)。
調べたかぎり昭和16年の秋に疫病が大流行した記録は見つかりませんでした。この年の12月8日、日本はアメリカとイギリスに宣戦布告し、いわゆる「太平洋戦争」が始まります。
角大師のお札は、喜多院以外にも、各地の天台宗のお寺で頒布されていて、形が微妙に異なる場合もあります。喜多院のものは、角、両腕、両足が豊かな曲線を描き、真ん丸の目、大きな鼻、笑っているような口元と相まって、夜叉=鬼の姿というには、あまりにも可愛らしい。衆生を疫病から救おうとして夜叉に変じた慈恵大師4(良源 912-85)の優しい心が見えるようです。 疫病除けとしての性格を否定はしませんが、このお札には「慈恵」の象徴としての意味も備わっているように感じます。
- 「新富座」は関東大震災で焼けて廃坐になった。所在地は京橋区新富町6丁目(現在の中央区新富町2丁目)。
- 弘化3年4月中旬(1846年5月上旬)の瓦版。https://ja.wikipedia.org/wiki/アマビエ、による。
2023年11月27日アクセス。 - 民俗学者 折口信夫(1887-1953)は、外部からやって来る異人を異界からの神とする「まれびと信仰」の存在を提示。沖縄では「まれびと」が海の彼方にあるニライカナイからやって来る。
- 実在の人物。第十八代天台座主 良源(912-85)。慈恵大師、元三大師は通称。民間では「厄除け大師」の名で親しまれている。諡号が「慈恵」。


