マニラのビリケン by ばあど

 「ビリケン Billiken」をご存知ですか?

 とがった頭、吊り上がった目、大きな耳、そして両足の裏をこちらに向け、座っている姿が特徴的な神様です。足の裏を掻くとご利益があるとされ、日本では大阪 新世界の通天閣のものが有名です。

 この神様をデザインしたのは、フローレンス・プレッツ(Florence Pretz、1885 - 1969)というアメリカの美術教師・挿絵画家。1907年頃の作品のようですから、神様の中ではずいぶん新しい部類に属します。

 そのビリケンがフィリピンでもかつて非常に親しまれる存在だったのを知り、驚いたことがあります。

 そこで、フィリピン出身の学習者にビリケンについて聞いてみました。

わたし:ビリケンを知っていますか?

学習者:はい、知っています。

わたし:フィリピンのどこで見ましたか?

学習者:マニラです。お店に飾ってありました。

わたし:ビリケンは好きですか?

学習者:いいえ。子どもがこわがって泣きます。

わたし:……

 ビリケンの像がマニラでまだ見られるのは確かなようです。

なぜマニラなのか? それには理由があります。

 ほぼ20世紀の前半(1898-1946)、フィリピンはアメリカの統治下にありました。当時のフィリピンでは、1908年から1939年まで、アメリカとフィリピンの親睦を深めるため、毎年2月に「マニラ・カーニバル」が開催されていました。期間は2週間。

 サーカス、ヴォードヴィル、道化芝居の興業があり、華やかな山車も出て、毎晩、夜明けまでオーケストラ伴奏付きの舞踏会が開かれました。会場には仮面をつけ、仮装をした人々があふれ、期間中のマニラは熱狂に包まれたといいます。

 祭りの目玉は美人コンテスト。新聞・雑誌が投票券をつけて前評判をあおり、熱狂的なファンはひいきの候補にひとりで複数の投票をしました(まるでどこかの国のアイドル総選挙のようです)。選ばれたその年のカーニバル・クイーンは上記の山車に乗り、観客にお披露目されます。

 そして、そのクイーンに戴冠する役目を務めたのが、「マニラ・カーニバル」のマスコットとしてのビリケンでした。

 当時の週刊誌「フィリピンズ・フリー・プレス The Philippines Free Press」(1933年9月4日)に掲載された漫画*を見ると、ビリケンが会場入口で「わたしからの贈り物だ。憂鬱や心配はお前たちの命を縮めるよ。だからカーニバルにおいで。そして、心配事を忘れなさい。楽しい気分になるのが何よりの薬。楽しめ諸君!」と呼びこみをやっています。

 ビリケンの右手には道化杖 jesters’ baubleがあり、彼がカーニバル(謝肉祭)につきものの「愚者の王」でもあることを表しています。そのあいだは何もかもが転倒し、無礼講となるカーニバルの。

 最後の「マニラ・カーニバル」から現在までに80年以上の時が経過しました。フィリピンの人々からカーニバルの記憶はおそらく薄れてしまったでしょう。ビリケンがカーニバルのマスコットだったことも忘れられていると思われます。しかし、今もマニラの商店にその像が飾られているという事実は、ビリケンの「福の神」としての威光だけは相変わらず健在なことを示しているのかもしれません。

 学習者の話のように、見た子どもがこの神を「こわがる」のは、いろいろな意味で考えさせられます。

*Alfred McCoy, Alfred Roces. Philippines Cartoons: Political Caricature of the American era 1900-1941(Quezon City: Vera-Reyes, 1985)p.47.