■学校からの依頼

 川越市立川越第一小学校の5年担任の先生がたから、NPO法人 日本語教育ネットワークに、「第五学年 総合的な学習の時間「私たち地球人」における交流会」への参加依頼があり、行ってきました。期日は令和8(2026)年2月12日(土)。こちらからはクラッセ川越5階、国際交流センター「ANABA」クラスで日本語を学んでいる学習者12名(アジアやアフリカの諸地域から来日したかたがた)と、NPOのスタッフ4名。クラッセから川越市立川越第一小学校までは徒歩で20分あまり。同校は、道路を挟んで、埼玉県立川越高校の斜め向かいに位置し、「川越市立川越第一小学校」となったのが昭和22(1947)年4月1日。しかし、その前身は、明治6(1873)年4月に川越藩の旧家老屋敷に創設された「三芳野学校」にまで遡る由緒ある学校です。

■交流会

 交流会は、5・6校時を使い、全員参加の「はじめの会」、グループに分かれての「日本の文化紹介」「日本の昔遊び」「日本の食作り」「川越の街案内」、再び全員参加の「おわりの会」の順で行われました。

 「はじめの会」でクラッセからの一同を迎えた第5学年の児童は114名(4クラス)。外国から日本に来たかたがたが自己紹介にあたって「ニーハオ」とか「ナマステ」と挨拶すると、多くの児童が同じ言葉で積極的に挨拶を返していました。

 続く四つのグループに分かれての活動のうち「日本の文化紹介」では和太鼓を、「日本の食作り」ではお味噌汁を取り上げ、「川越の街案内」では時の鐘や菓子屋横丁に赴いたようです。それらを筆者は見学していないので、間違っていたらごめんなさい。

筆者が見学したのは「日本の昔遊び」のグループ。教室内での、けん玉・かるた・コマ回しに続き、校庭では、だるまさんころんだ・凧揚げ・ドッジボールをして遊びました。ここでも児童たちが活発に意見を出し合い、最初は混とんとしていたゲームが、だんだんまとまっていくさまに感心。例えば、かるた。パソコンの画面に表示された遊びの説明が外国のかたには少々分かりにくいと感じた児童は、自分から口頭で説明を補足したり。かるたの読み手の読み方が速いと思ったら、10秒ほど間隔を置くように伝えたり。参加人数に対して、カルタの札を狭いスペースにまいたため、みんなが近くに寄りすぎて支障があると判断したら、もう少しカルタを置くスペースを広げるように提言したり。ちょっと大げさですが、そんな風にひとつの活動を通じて、児童と児童、児童と外国籍のかたが交流するなかで、一同が「創造的に進化」していく様子を、目の当たりにした気がしました。カオスからコスモスへ。

最後の「おわりの会」でも、児童たちから外国のかたがたに次々に質問が飛び、その物怖じしない姿に、おとなのこちらが勇気づけられました。

■ある気づき

帰りの道々、参加した外国籍のかたがたに感想を聞いてみたところ、みなさん、有意義な時間を過ごせて、満足した雰囲気。こんな気づきもありました。中国籍の男性が「日本の学校では生活の勉強をするんですね」とおっしゃるので、「中国では(生活の勉強を)しないんですか?」と聞いてみたら、「しないですね」という返事。男性は日本の小学校が「生活」の勉強もすることを知って、新鮮な驚きを覚えた面持ちでした。

2月に吹いた春風のような一日。川越市立川越第一小学校5年担任の先生がたと学生のみなさん、ならびにいろいろ対応してくださった学校のかたがた、楽しい交流会にお招きくださり、本当に有難うございました。